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南アフリカゾウの間引きが13年ぶりに許可
 
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REDHOT PORKERの花
南アフリカオットセイ
熱帯草原の夕暮れ
「はじめてアフリカに着いたとき、私が受けとったものはすべて覚えている。まことに強烈な自由、それで私の心が熱くなり、酔いしれたほど、私が苦痛なまでにその悦びを享受したほど強烈な自由」(ル・クレジオ著 菅野昭正訳(『アフリカのひと』(集英社刊)より)

今年の2月にアフリカ南部を訪れ、国立動物保護区や私営の保護区で多くの野生動物に接する機会を持ったとき、私はル・クレジオの上記の言葉を実感した。多くの生物が本来あるべき姿で暮らす様子は、魂の「自由」そのものだったから。

南アフリカではキリン、サイ、ライオン,象、バッファローなどの大型ほ乳類から小さな昆虫フンコロガシが、ジンバブエではザンベジ川に生息するカバやイグアナ、極彩色の鳥類が迎えてくれた。ある私営保護区ではアフリカゾウの背中に乗って1時間ほどサバンナを散歩した。大地が揺れるような上下動をゾウの背中で感じながらゆったりしたリズムで大地を踏みしめる。魂が震えるほどの体験だった。ゾウは一頭ごとにまるで違う個性と素晴らしい記憶力を持っていると知り、愛情がとめどなく溢れた。どの動物も我々が思う以上に賢い。というより人間よりずっとずっと美しく、尊厳に満ち、誇り高い。特に印象的だったのは野生動物の鋭いまなざしだ。言葉をもたぬ分、愁いに満ちた視線が我々を射抜くのである。

いまや地球を支配している人類は、すべての種の保存に責任を持たなければならない。ところが、人間の都合に合わせた勝手な保護政策が地球のあちこちで起こっている。実は南アフリカ政府も今年の2月、アフリカゾウの頭数制限のために13年ぶりに間引きを再開すると発表した。避妊や生息地の分散などでは根本的な解決にならないという。確かに身体の大きなアフリカゾウ(オスだと数トンにもなる)は1日に木の葉や植物を250キロも食べる。増えすぎた保護区では樹木が枯れ、土壌の浸食が起きて被害が深刻だ。そこで数を減らして生態系を維持していこうというのだが、動物たちにしてみればアフリカゾウの数万倍の破壊力で生態系を害した人間こそ、処分の対象だと思っているだろう。言葉がしゃべれたら、彼らの生活圏を返せと言うに違いない。

今回の処分対象は7,000頭ほどになるらしい。1995年からの保護政策が功を奏して1万8,000頭ほどに増えたアフリカゾウの三分の一強という数字。これをどう見るかは専門家の意見を聞かなくてはなるまい。アフリカゾウは家族の絆(きずな)が強く、群れで行動する。親だけ処分して残された子象が飢え死にしたり辛い思いをしないよう、家族単位の群れごと行う。大型のヘリからアフリカゾウの頭を狙ってライフルを発射し、銃殺する方法が検討されている。(同時に、5月1日から野生のゾウをサーカスなどの商業展示の目的で捕獲することを禁止することになった)。

サファリのレンジャーたちとこの問題を話し合ったとき、残酷だ、可哀想という情緒を排除し、合理的、根本的解決を図る必要があるのだと言われた。なら、調査捕鯨に対する欧米の感情論はゾウと違うのか?調査捕鯨の方が残酷なのか?5月から実行されるというこの保護政策は、厳正な調査結果のもとに最低限の頭数にとめおいて欲しい。いまや極上の自然と言われる世界の秘境さえ、人間の手が入らなければ保全は難しい。アフリカの野生動物保護区も同じである。野生の姿を維持するためには水飲み場を設け、草がなくなれば植え、常に種の数を確認しながら移送や間引きをしているのである。もはや本来の野生などなきに等しい。ここまで来てしまったなら、人類の英知を絞って自然の再生を図らなければいけない。それは私たちの幸福につながっているし、人間としての義務でもある。
南アフリカの野生動物保護区など関連サイト
南ア国内の保護区ガイド
チータを絶滅から救うNGO
南アフリカのナチュラルライフ
エレファント・バッグの情報関連サイト
Elephant Back Safaris
South Africa Elephant Back Safaris
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