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ニッポンの中のアジア まかりとおる推定有罪 #13  独房から雑居房へ
 
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張さんからの手紙 Vol.13
拝啓

新たな一年が始まって、すでに一ヶ月が過ぎました。今年は暖冬であまり厳しい寒波はありませんでしたが、それでも塀の中にいる者にとっては苦難の季節です。お便り拝見させ宛て頂きました。有り難うございます。

先日、客野さんとの面会の際、平野さんのお歳を伺ってみましたら、客野さんと大体同じであると聞きました。お仕事で海外に行かれる事が多く、多分旅の疲れが溜まっておられるのではないかと思い心配しております。

 私や折先輩の前で失礼とは思いますが、実は私も40になった途端急に白髪が増えた気がして毎朝鏡をのぞき込んでいる有様です。

 30代と40代の大半を身に覚えがない罪で収監されていますので、自分が歳を取っている実感がまったくといっていいほどありません。体は歳をとっていっても内面的な精神年齢は成長せず、30代前半の水準に留まっている感じがします。未決にいた頃は、裁判という目標を抱えて頑張っていたため、雑念に浸る余裕すらありませんでしたが、服役している今は自分が何故この場所にいるのかという、現実との乖離感が激しく、それを忘れるために精一杯です。

 人間という存在自体が限りない矛盾のかたまりなのですが、できれば胸の中に収めている悔しさや憤りをエネルギーに換え、出所後の準備のために使おうと思っています。

毎年この時期になると、私は今年の目標を定め、それを日記帳の前に書いて置いたりします。まあ、目標と言っても英語の勉強を頑張るなど、ごくささいな事なのですが。

 しかし、時間が経つに連れそんな小さな目標すらうやむやになってしまい、時々日記帳の前に書かれてあるそれらを見ながら守られていない自分との約束で恥ずかしい思いをすることが、すでに何年か繰り返されています。

 今年も新たな目標を決めておりますが、何パーセントくらい達成できるでしょう。自分自身との約束すら守られないのですからほんとうに情けない限りです。

 去年の十二月頃から外国人収容舎棟から日本人雑居に転居しております。

独居での生活が5年を越えており、精神的にもつらくなってきましたので自分の方から転房を申し出て移してもらいました。

 現在収容されている舎棟で外国人は私一人しかなく、他は全員日本人です。

受刑生活で一番の悩みは人間関係だと言いますが、幸い、今いる部屋の仲間達は皆やさしく、言葉や文化の違う外国人である私を良く理解してくれています。

 何より嬉しいのは、仕事を終えて部屋に帰ってきたら気持ちが和むことです。独居にいると誰も相手になれる人がなく、朝まで開かない扉を思うと閉塞感に押しつぶされるような苦痛を覚えます。

 何年も長く雑居にいるつもりはありませんが、しばらくの間はここで生活してみようと思っています。

刑務所に移送されて2年目になりますが、やっとここの生活に慣れてきた気がします。

面会は身元引受人として客野さんにしか許されていませんが、拘置所から文通していた他の方々とは相変わらず文通を通じて交流を続けております。

 私にとって日本は外国であり、しかも刑務所という特殊な環境におかれておりますので、面会や文通を通じてご支援頂けるのは非常に心強いしありがたいです。どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

それではまたお手紙を差し上げます。

くれぐれもお体をお大切になさいますよう、一日も早くご全快の上、お元気でご活躍を心からお祈り申し上げます。

敬具

平成22年1月30日

無実の張禮俊
裁判が終わってからもう2年も経つのかと感慨深い。何も分からぬまま、客野さんのご紹介で控訴審を傍聴させてもらったが、こうして張さんとお知り合いになれたのも人生のご縁だろうか。

彼は手紙の中で年齢のことに触れている。獄舎の中で40歳のバースデー。さぞ無念であろう。

若い頃こんなことがあった。101歳の学者を取材に行ったところ、いきなり「君たちはいくつだ?」と尋ねられたのだ。カメラマンと私が「31歳です」と答えたら、「そうか、まだ3回の表か。ボクなんか延長戦になって10回の表だ」。そう、この老学者は人生を野球ゲームに例えたのである。そういう歳月のとらえかたがあるんだと、妙に納得しそれからは5回裏コールドゲームにならぬよう気をつけながらやってきた。

「野球は7回からが面白くなると言うではありませんか」と私は張さんに書いた。

「現在の溢れる思いを溜めに溜めて出所後のエネルギーに換えるよう努力する、そのとおりだと思います。日々の日常を大切にすることが、やがては結果を生みますから。私はすでに5回裏、6回の表に突入と言ったところですが、張さんの人生はまだまだこれからでしょう」と激励した。

ところで、人間は100歳になっても100歳の精神年齢(がどんなものかわかりませんが)になんか到達しないと思う。外見だけは残念ながら変わるけれど中身は自分が自覚している年齢のままなのだ。張さんの場合は30歳くらい? 私の精神年齢も似たようなものだな。10年後も20年後も自分は自分で在り続けるから、何も変わらないような気がする。世の中の老人の多くは、自分たちが「老人」とは思っていないのと同じように。要するに気持ちの有り様だろう。

自分の大きな目標に向かって日々を大切に過ごしてほしいと思う。日記をつけているなら、事件や裁判のことを冷静に見つめられるようになっているなら、自分の生い立ちから今までを手記のカタチで記録を残せばよいと思う。張さんは文章力、構成力もあるので、過去と向かい合う勇気と書き続ける根気さえあれば出来るはずだ。今後の服役生活がも平安な道のりであることを祈るのみだ。