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ニッポンの中のアジア まかりとおる推定有罪 #11
 
新しい生活 と脱モタ工場への道。
 
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張さんからの手紙 Vol.11
拝啓
穏やかな気候が続くとても過ごしやすい時期になりました。
囚われている者にとってはありがたい限りなのですが、国家権力と違って自然は決して嘘をつかず、また一ヶ月もすれば暑さで眠れぬ日々が訪ねてくるのでしょう。
送って下さった5月5日付のお手紙は大変嬉しく拝見致しました。まずはお健康のこと何よりと存じます。

私は新しい環境に慣れるためバタバタしておりますが、頑張る気持ちだけで身体がおもいどおり動いてくれませんので、少々苦労しているところです。日本の刑務所はとてもひどい所であるとさんざん聞かされておりましたので、自分なりに覚悟を決めて来ましたが、長い未決期間を独居で過ごしていたことが良い薬として効力を発揮しているのか、苦よりはむしろ毎日新鮮な気持ちで生活しております。
 毎朝工場に出役するため狭い居室から開放されることや、日差しを浴びながら広い運動場で思い切り走れる事、そして何よりも他の収容者達と会話が楽しめる事などは、東京拘置所に収容されているときには決して許されなかった事でしたから。規則の厳しさはさすが拘置所とは比べられませんが、決められた事と自分がやるべき事さえたんたんとやっていけば、大した苦もありません。

ただ、無実の者として懲役に務めなければならない残酷な現実との乖離感があまりにも深く、その苦痛から逃れる発送の転換さえうまくできればそれ以上望む事もありませんが。
冤罪被害者なら誰でもこの命題を抱え悩み続けると思いますが、結局のところ自分自身を苦しめるのは、刑務所の不当処遇や厳しい規則なのではなく、現実を受け入れる事、認める事、置かれている状況を直視して逃げない事が出来ない自分自身なのです。
とりわけ経済的な問題で濡れ衣をはがされる(註・はがす)唯一の道である再審請求さえ出来ない者にとっては、希望を持ち続ける事すら難しいですから。
 この難敵から自分を護るためにはあまり遠い事は考えず、ひたすら1日1日だけに集中思案柄現実に順応していくしかありませんが、今の私にはそれすら簡単にできないのが情けない限りです。

 この府中刑務所は日本一大規模な刑務所で、F級(外国人受刑者)収容者も日本一多いところです。おかげでF級の収容処遇こ良い方ですので、外国人収容者だけを別途に管理する部署が設けられています。
 食事は東京拘置所より良いですし、各種類別に外国人の特別食も支給しているので本当に助かります。私の場合は、肉類がいっさい食べられませんので、東京拘置所に収容されていた時には大変苦労していました。2年くらいをかけて東京拘置所側といろいろ面倒事を起こしていましたし、弁護士会にも2回人権救済申し立てをしていましたが、結局食事の事が改善されずにいました。それがここへ移送されてからようやく菜食の支給が認められ、今は満足に食事がとれるようになりました。ヴェジタリアン食なので魚まで禁止されていますが、東京拘置所の虐待に近い処遇よりはましだと思います。

 平日には、朝食を舎房の中で食べてから工場に出役します。ご飯と味噌汁の少しばかりのつけものだけの簡素な朝食なのですが、やはり労働することが何よりのおかずとなり、うまいです。朝食の後はすぐ各工場へ出役させられます。現在私はF級収容舎棟の独居に収容されていますが、朝は出役して120人規模の大きな工場で働き、ゆうがたになると舎房に帰ります。
 舎房と工場間を移動する際は、職員の呼命に従って、100人以上の受刑者が各工場別に軍隊式行進で移動します。移動中に他の工場の受刑者と顔を合わせたり話しをするのを防ぐためらしいです。工場に行けば1日8時間くらいきっちり働かされます。

 私が配役された工場は病人や日本語できない外人ばかりを集めたいわゆるモタ工場(もたもたする意味)なのですが、その分優給制度による進級のチャンスもあまりありませんし、仮釈放の可能性も希薄です。5年近くも長く拘置所の独居で過ごしていたせいで身体がぼろぼろになりました。多分、その理由でモタ工場に落とされたのでしょう。
 一応今は、一生懸命身体を作っていますが、懲役に仕事を選ぶ権利はなく、転業はほぼ不可能だと思います。

 お昼は工場にある小さな食堂で食べます。昼食時間が30分間なので、なるべく早く食べて休憩時間を増やそうとみな、ものすごい速度で食べまくります。私は中国人グループと一緒に座りますが(指定席)彼らは日本語が出来ないし私は中国語ができませんので、お互いコミュニケーションをとるたけ大変な作業(?)をしています。現在この工場にはたくさんの外国人受刑者が働いていますが、韓国人は私が唯一みたいです。
 班長役の受刑者に聞いてみたところ、彼が務めていた4年間で韓国人は1人も来なかったそうですので、私が久々に配役された韓国人になります。そういう訳なのか、みな、私のことを気にしてくれる感じがします(笑)。

 運動は平日のみ毎日30分間させられます。1日ごとに屋外運動と体育館運動になりますが、実際には雨天の日もあるため体育館運動の方が多いです。できれば毎日屋外で新鮮な空気を吸いながら日差しを浴びたいですけれど・・・・。
 お風呂は週2回。1回の入浴時間は15分ですので満足に洗えません。働かせながら毎日お風呂に入れて貰えないなんてひどい!とも思いますが、やはり強制労働ですので仕方がありません。

いろいろと細かい規則の中で生活していくのは大変なんですが、無実の者としての誇りを胸の中に抱いて1日1日を頑張っていきます。どうぞこれからも温かいご感心をよろしくお願い申し上げます。

敬具
平成21年5月19日
無実の張禮俊


追伸 同封して下さった切手はありがとうございました。一つお願いがあります。中日、日中辞典が欲しいですが、ここで購入すると何ヶ月もかかります。中古でもけっこうですので送って下さればありがたいです。よろしくお願い致します。
4月30日から約80日間、いわゆる大人の百日咳にかかり、体調がすこぶる悪かったために張さんへの返信や辞典の送付が出来ず、夏になってしまった。昨日、手紙とともに手元にあったスペアの中日辞典を送ったところ。収容者の中国人は大陸出身者だろうから、簡体字の辞典にした。それにしてもなんという向学心だろうか。彼はすでに日本語をマスターしているから中国語もきっとなんなく覚えて会話も出来るようになると思う。

今回の手紙で、府中刑務所の外国人収容者の生活が垣間見られた。東京拘置所より少しは待遇が改善されたようでその点は良かったと思うが、張さんのように経済的理由で再審請求もあきらめている外国人冤罪者が大半だろう。支援の輪が市民レベルに広まって経済的にも支援されている「東京電力OL殺人事件」のゴヴィンダさんらは幸運である。
彼がどのように自分の中でおりあいをつけるのか。やはり目先の1日をただひたすら消化していくしかないのだろうか。これからまだ9年も過ごす張さんは体力と精神力の闘いだ。