ニッポンの中のアジア まかりとおる推定有罪 #1 -ある刑事裁判を傍聴して-
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日本に出稼ぎや就学目的でやってきたものの、さまざまな事情で不法滞在者となり、事件を起こしたり、巻き込まれたりするアジアの若者が少なくない。中には、弱みを警察に握られて身に覚えのない罪を着せられてしまう者もいる。
2007年12月17日。東京高裁805号法定(原田国男裁判長)において、2004年6月に埼玉県熊谷市で起きた殺人事件の控訴審判決が下された。「控訴棄却」。一貫して無罪を主張してきた韓国籍のチャン・イエジュン被告(37)は、開廷後数分もしないうちに抗議の退廷。懲役13年を科した一審支持の判決には、傍聴した支援者や弁護団からも、疑問の声があがった。
私は、チャンさんの裁判を傍聴するまで、法廷に足を踏み入れたことがなかった。傍聴支援のきっかけは、あの東電OL殺人事件で無期懲役の判決を受けたネパール人、
ゴビンダ・プラサド・マイナリさんの支援団体
から、一人でも多くの傍聴をと、呼びかけられたことだった。 2回目の公判から12月の結審まで数回に過ぎなかったが、終了後に弁護団の方々からていねいな説明があったおかげで、裁判の流れや問題点が把握できた。
ここで簡単に事件概要を記そう。
2004年6月、熊谷市のアパートで韓国人エステ嬢(25)が鈍器で頭を殴られ、ケイタイ電話の充電器コードで絞殺されているのが見つかった。その夜に出頭してきたチャン(事件当時34)さんを、熊谷署は入管難民法違反で別件逮捕。本人の全面否定のまま起訴に持ち込み、2006年3月、さいたま地裁熊谷支部は懲役13年を言い渡した。チャンさんは逮捕当初から一貫して無罪を主張。「留守をしていた間に殺されていた。妹のように可愛がっていた彼女を殺すはずがない」と訴えていた。
この事件の裏には不法滞在者を食い物にする風俗店の存在がある。エステ嬢の身の上に同情した店長チャンさんは、自分が解雇されたことを機に、ふたりのエステ嬢をアパートにかくまい、職探しまで世話をしていた(現に被害者の女性はオパ=お兄ちゃんと彼を慕い、事件の翌日から新しい仕事に就くことも決まっていた)。エステ嬢たちには風俗店のオーナーや闇社会からひんぱんに脅迫電話がかかっていた。危害を及ぼす人物や不穏な状況があったにもかかわらず、警察は初動捜査をぬかり、同居人のチャンさんを犯人とみなした。
12月17日の判決を、裁判長は異常なほどの早さで読み上げた。アナウンサーのニュース原稿が1分間に約400文字とするなら、その倍はあろうか。耳が聴き取り、脳に伝達して理解するぎりぎりは1分1200字だそうだが、それに近い速さだった。早口だったのでよく聞き取れなかったけれど、判決の趣旨はおよそ以下の3点に絞られていた。
@ ケイタイコードの疑問
被告人が主張するように、結び目を引っ張って解いたなら、コードによじれがあるはずなのにそれがない。
A アリバイの疑問
神社で犬を連れた婦人を見ている供述は、証人の出現で一致を見たが、コミュニティー広場に関する供述は信用できない。当日、アパートを出て広場へ行ったというが、フリーマーケットの開催準備で多数の人間がいたにもかかわらず、それを覚えていない、人がいたかわからないというのは虚偽である。したがって、アリバイ全体も信用できない。
B 事件後、証拠隠滅、逃亡の行動をとった
犯人でもないのに、犯人の慰留した品々を処分するのは不自然。
明白な動機解明もなく、状況証拠だけを並べ立てた「推定有罪」の判決である。
裁判の中で被告は以下のような主張をしていた。
@ に関しては、「外出先から帰宅すると、被害者はビニール袋を頭にかぶせられ、上からさらに充電器コードを巻かれた状態で横たわっていた。自分は被害者を助けようとしてビニール袋の外側のコードを、軍隊で習った方法ではずし、ビニール袋を脱がせた。すると、首にはもう一本の充電器コードが直接巻き付いていた」(チャンさんは証言)。
*被告のこの証言は、弁護側の証人法医学者鈴木庸夫山形大学名誉教授の鑑定で遺体の客観的事実と合致。検察もこの鈴木鑑定を認め、一審では否定していたビニール袋や第二のコードの存在を認めた。
*コードによじれがないのは、被告人が取り乱して別のコードをいっしょに捨てたのかも知れないし、警察が差し替えたかも知れない。この点は解明ができていない。
Aに関しては、「アパートを飛び出した時点でかなり酩酊していたし、広場にどれだけ人がいたか覚えていない。だが、神社境内を散歩していた犬連れの婦人がいたことは覚えている」と証言した。実際、この婦人が現れ「背の高い男性を見た」ことを証言し、供述はほぼ一致した。
Bに関しては、なぜこうした結論が出るのか理解に苦しむ。逃亡したいならとっくに高飛びしているだろうに、被告人はその夜警察に出頭しているのだ。
迷ったあげくに警察に出向いたのは、不法滞在者だったからに他ならない。疑われると思い恐くなってコードやビニール袋など捨てたのだろう。しかし、出頭後は警察ですべての行動を話している。殺害される直後の被害者と性交渉があり、不満をぶつけられたことも。それがどうして証拠隠滅や逃亡の画策をしたことになるのだろうか?
真実は当事者と神にしかわからない。だが、罪をかぶせられていたとすれば・・・しかも外国で・・・。冤罪となった人間の苦悩と不安はあまりにも大きい。
ご存じのように日本の刑事裁判は、有罪率の高さが際だっている。一度起訴されてしまえば、100%に近い確立で有罪になってしまうのだ。それを治安の良さに結びつける識者もいるけれど、ちょっと待って欲しい。人権侵害もかまわぬ強圧的な警察の捜査、有罪を最初から決めているような検察の態度、目前の人間を見ずに、書類の文言に頼る裁判所。
判決の中で、被告が被害者からセックスの不満をぶつけられ、それで気分がむしゃくしゃして外へ飛び出し留守にしたという証言に対し、精液が膣の中に入っていたからその弁明はおかしい、みたいなことを裁判長は言った。女性の満足度と膣内射精は必ずしも関係ないのに、インサート=満足という男性側の性欲パターンしか頭にないのかと、情けなくなった。
拘置所で日本語を学び直し、裁判では自らの無実を日本語で訴えた努力家のチャンさんは、いつも色白の肌を紅潮させて、弁護士や検事のやりとりを全神経を集中させて聴き、発言をしていた。ウソを突き通しているとしたら、これほど理路整然と話しがまとめられるものだろうか? かたや、検事の言い分は状況証拠をくっつけてストーリーを作っているような、ほころびが目立った。
チャンさんが退廷する際に「こんなのは裁判じゃないよ!」と怒鳴った涙声が今もはっきりと甦る。彼は日本の司法に絶望し、やり場のない怒りを声にしたのである
警察の思いこみによる捜査、検事の想像たくましい論告、刑事裁判の大原則「疑わしきは罰せず」を忘れた裁判所。これらが3点セットになれば、誰もが推定有罪になる可能性を見せつけられた傍聴だった。
「人間が人間を裁くことに、裁判官はもっと悩まなくてはいけない」
秋山弁護士は判決後にこう話した。
この事件の被害者は「風俗エステ」で働く「韓国人女性」、被疑者のチャンさんは元「風俗店店長」でありヴィザの切れた「不法滞在者」。カッコ内の文字面だけを見れば、大部分の日本人にとって別世界の出来事と映る。だが、ほんとうに“そんなの関係ねえ"で済んでしまう事件だろうか?
2009年から始まる裁判員制度では、私たち自身が判決を出すことになる。
12月17日の判決以来ずっと考えた。私に何ができるのだろうか?・・・と。
張さんに激励の手紙を送り続けるのもひとつの支援方法だろうが、まず私自身が冤罪について勉強をし、張さんが巻き込まれた事件や高裁の判決を一人でも多くの人に正しく知ってもらうこと、張さんの無実の声を届けることが大切だろう。
そこで正月休みには、裁判官、弁護士、検察官、元懲役囚、傍聴オタクと、立場の違う著者の書いた刑事裁判関連の本を何冊か読んだ。張さんの事件が重なって仕方なかったのは、秋山賢三弁護士の『裁判官はなぜ誤るのか』(岩波新書)という本。日本の刑事裁判の問題点、特に「疑わしきは被告人の利益に」という大原則がなぜゆがめられるのかという点に言及がなされている。
判決が言い渡されたあの日、秋山弁護士は「人間が人間を裁くのだから、裁判官はもっと悩まなくてはいけない」と話された。つまり、「合理的な疑いを超える程度の証明」を検察ができないのであれば、目の前の人間(被告)の生の声に耳を傾け、検察とは反対の立場から「被告人は無罪ではないか?」とあらゆる可能性を考え、真剣に悩んで結論を出すべきというのだ。 そうでなければ、日本の憲法が保障する「公正な裁判を受ける権利」に反することになってしまう。ところが残念なことに、刑事裁判における検察官と裁判官は、ほぼ立ち位置が同じで、最初から被告人を有罪と決めつけて審理しているふしがある。これでは、司法の独立が危ない。
冤罪は、警察や検察官やの責任が大きいのだろうが、捜査段階における警察官通訳の語学力に問題があることも多いと聞く。 知り合いの台湾人が、ある地方の県警で通訳をしているのだが、彼女から聞く警察官通訳の語学力、はたまた外国人通訳の雇用の実態は、想像以上にお粗末だ。刑事が行きつけにしている飲み屋でアルバイトをしている就学生を、学歴も日本語能力も精査することなく雇ったりするなんて考えられます? 容疑者と疑われた外国人が、恐怖と緊張の中、しどろもどろの日本語で必死に弁明したとしよう、そこへ現れる母国語を話す人間は、地獄であった仏だ。通訳の誘導によって警察に都合の良い自白調書ができたとしてもフシギはない。日常的に起きている冤罪をなくすために、警察での取り調べの様子を録画、録音(仮視可)するべきだ。
秋山弁護士が著書の最後に書いている「職業裁判官のための十戒」は非常に意味深い。
1. (自分が座っている裁判所の)壇の高さを自覚する
2.「疑わしきは被告人の利益に」を実践する
3.秩序維持的感覚を事実認定の中に持ち込まない
4.「人間知」「世間知」の不定を自覚する
5.供述証拠を安易に信用せず、その誤*可能性を洞察する
6.公判に於ける被告人の弁解を軽視しない
7.鑑定を頭から信じこまない
8.審理と合議を充実する
9.有罪の認定理由は被告人が納得するよう丁寧に書く
10.常に「庶民の目」を持ち続ける
激励の手紙を書いた
昨年の12月22日に激励の手紙を出したところ、張さんから返事が届いた。千、万と、たえどんな言葉を積み重ねても、不当判決を受けて独房へ戻った悔しさと悲しみは決して癒されないと思っていたが、多くの支援者の激励に、「以前より強くなれた。現実を直視して前進し、最後の闘いに臨みたい」とあった。枯れ木も山の賑わいで、少しはお役に立てたのかとほっとした。張さん本人の許可を頂けたので、随時彼の手紙を公開し、みなさんに彼の無実の声を届け、この事件と判決をごいっしょに考えて頂きたいと思う。