昨年の9月に突然脚が利かなくなって12月末から歩けなくなり、寝たきり生活が続いていたが、看病する私は、介護休暇をとってでもりきゅうのそばにいたかった。、ここにいたるまでは葛藤の連続だったが、最期の表情が微笑みを浮かべていたので、どんなに私は救われたことだろう。
りきゅうちゃん、たくさんの思い出と愛情をありがとう。18歳と3ヶ月の長寿をまっとうしたね、りきゅう、またどこかで合おうね、そのときは、全速力で駆けてきてよね・・・・
15分後に「すべて処置も終えました」という先生の言葉に促されて診察室へ入ると、りきゅうが微笑んで横たわっていた。いつもどおりのりきゅうだ・・・思わず「りーちゃん・・・」とほおずりをすると温かい。柔らかい。でももう動かない。「がんばったね、楽になったね」。そこまで言うのが精一杯。見送って下さった医院の先生方に挨拶をして、小さい頃の写真をお見せしてしばしりきゅうを語ったあとで、星良とふたりで葬儀場へ向かった。後部座席に横たわるりきゅうは、行きの時と変わらなかった。
お骨のいれものが、またまた人間と同じ。白地の壺に白木の箱だ。骨壺は、後日、私が陶芸教室で作ってあげることにするが、とりあえず葬儀場で用意して貰う壺に入れることにした。なんでも頭蓋骨のかたちがそのまま残るので、広めがよいとか。人間の遺体の場合、頭蓋骨はえびせんのようにうすっぺらな部分だけになってしまうけれど、動物は違う。「なるべくきれいにかたちが残るよう火葬させて頂きます」と係の人がしみじみと言うので、おまかせすることにした。
りきゅうの遺骨はしばらく自由が丘の家に置いておいて、温かくなったら父といっしょの墓園に納骨しよう。
散歩に連れ歩くと、「なんて可愛いわんちゃん」とよく言われ、ほとんど女の子に間違われた。最期まで毛並みの艶がよく、とても18歳の老犬に見えなかった。それが私の自慢でもあった。りきゅうといっしょに過ごした日々は、私の大切な宝物だ。こんなに絆が深まっていたとは・・・、亡くなってみて痛感している。
ほんとうの、しっぽのあるママの胸に飛び込んでりきゅうも甘えられるんだ。りーちゃん、長い間ありがとう、たくさんの思い出と愛情を決して忘れません。いつかきっと合おうね、そのときは「りーりー!」って呼ぶから、美しい姿でダッシュしてきてね。
さようなら、りきゅう・・・