平野久美子 TOP TOPICS JORNEY TAIWAN DOG BOOKS TEA
第一回 ぶち犬 りきゅうの生い立ち
DOGトップへ
  台湾、フィリッピン、インドシナ各国、インドネシアなどの土着犬は、ほとんどが短毛、のんきな巻尾、キツネのような立ち耳を持ち、スリムな体つきをしている。 縄文犬のような顔つきをした精悍なコもいれば、生活苦が顔に 表れて額にしわを寄せているコも多い。 太古の昔に日本列島へたどりついた人々は、狩猟の友として犬を連れてきただろうから、アジアの土着犬分布を本気になってアカデミックに調べたら、我々祖先の来歴の一部が解明されて興味深いだろうと思う。ヴェトナムでは白と茶のぶち犬をときどき見かけるが、そのたびに想像がふくらむ。なぜなら我が家の飼い犬「りきゅう」は、ヴェトナム王朝の番犬の血が混ざっているのでは思うほど、ぶちの入り方がヴェトナム的であるからだ。 「勝手なこと言うなよ〜」と横目で見やるりきゅうをまずはご紹介しながら、亜洲犬についても追々リポートをしていきたい。
 そもそも動物の体毛の色は、カムフラージュや威嚇のためや異性を惹きつけるためのものだ。人間の嗜好が加わってデザインされてしまったブランド純血種と違って、雑種犬は交配時に新しいデザインが生まれる。だから個体によって違うのかと言えばそうではなく、天の法則がやはり存在する。犬やオオカミの研究で名高い平岩米吉博士の著作を読んでいたら、体毛が濃くなる場所には一定の法則があると書かれていた。 
1.背中の体毛の方がおなか側よりも色が濃く、顔の周囲と肩の後ろの毛は淡い。
2.肩、背筋、腰、尾の付け根は色が濃い
3.色の濃い部分は毛の質が粗く、威嚇するとき毛を逆立てて大きく見せる
4.淡い色は、濃い色をひきたてるためにあり、意味がある
なるほど。体毛の法則はぶちの法則とも関連しているらしい。

 以前、何かの本で犬の体毛色素のDNAは赤、黒の2種で、両方が混ざると茶色(赤+黒)になる。したがって体毛は白か、黒か、茶(赤っぽい〜黒っぽいまで範囲が有り)に限られていると読んだことがある。
ぶち犬の代表格とも言うべき「ジャックラッセルテリア」や「パピヨン」、「ビーグル」に比べると、雑種であるりきゅうのぶちは不規則で、どちらかというと「ジャック」を思わせ、顔面は「コーギー」に似ている。

 背中にある大きなぶちは、生後半年頃まではきれいな平行四辺形だったのが、いつのまにか角がとれ、変形し(これぞ雑種の妙!)、今ではマダガスカル島に見えたり、海南島に見えたり。このほか、加齢とともに数個の斑点が出現。そのほかは両耳、額の両脇、しっぽの付け根に茶色のぶちが入っている。
 私は彼をバカ可愛がりをしている。わかってやっている。

 子供時代に飼っていた「チャッピイ」への供養としてかわいがっている。チャッピイとは、私が小学校5年、妹が小学校2年生のときに、近くの建材店からもらってきた♀の雑種。ベージュ色のふわふわの毛糸玉みたいな子犬は、目がアイシャドウを描いたように黒く、白目との割合がぺこちゃんみたいで愛らしく、鼻はきゅんととんがっていた。柴犬とスピッツの雑種だった。

 最初の数年間は、私も妹も競い合って夢中で世話をし、広かった実家の庭でいっしょになって遊んだ。チャッピイは4度も子犬を生んで、そのたびに飼い主探しを家中で行って、出入りの大工さんや植木屋さん、学校の友達のもとへ、子犬たちはけなげに旅立っていった。

 やがて大学2,3年になると犬の世話より楽しいことと次々に出会い、犬から関心が薄れてしまった。夕方、雨戸を閉めるときに、寂しそうな表情で庭につながれているあのコに、私はいちべつしか与えなかった。散歩にもほとんど連れて行かず、スキンシップも愛情も不足していた。それでも不満も恨みも表さず、最後はつながれた鎖を精一杯伸ばした縁の下で、たった一人であの世へと行ってしまった。フィラリアが死因だった。

 縁の下から遺体を引き出すと、カラダはこわ張り、元気なときの半分しかなかった。私は号泣した。老犬の孤独が胸になだれこみ、耐え難いほどの後悔と懺悔の気持ちになった。一週間泣き続けても涙は枯れない。当時、アルバイト先の友達に、「両親のどちらかが亡くなったのでは」と思われるほど落胆した。
1994年8月。我が家に空き巣が侵入した。

 「不用心だな、お宅は。番犬でも飼ったらどうですか?」

 指紋をぽんぽんと採取しながら玉川警察の刑事さんが言った。

 防御犬、番犬として先史時代から人間と共存してきた犬。このDNAを強く残すのはシェパード、テリヤ、プードル、柴犬系だという。侵入者の接近、異変を敏感に感じるこういう犬がいいと刑事さんはひとくさり。よっぽど犬が好きらしい。

「あ、それと雑種ね、シバの雑種はいい。このマンションは飼えるんでしょう?」

 その年の暮れ、保健所の処置犬の里親登録をしていた団体から連絡があり、神奈川県相模原市の動物病院へお見合いにでかける。 この団体は、保健所から救い出した犬をボランティアドクターに預け、そこで心身のリハビリをした上で里親に譲渡をしている。
 
「メープル動物病院」には譲渡可能な子犬が2匹いた。
ドッグレスキュークラブ東京

 一匹はまるまる太ってずっしりした黒柴。おなかに白い十字の模様が入り、瞳がきらきらした可愛いコ。嬉しくって嬉しくてぴょんぴょんはね回る。私はひとめで気に入った。もう一匹は白に茶のぶちがある子犬。不安げに額にしわをよせ、キャンキャン鳴きっぱなし。よっぽど恐いのだろう、おもらしをしている。黒柴が寄っていくと、観葉植物の鉢のうしろに逃げて出て来ない。同行したラー(息子)が、「もらうならこっちのコ」と抱き上げたのは、無惨に震える子犬だった。

 「大丈夫かなあ、やけに軽くない?」

 子犬の鑑別法をさんざん知識として仕入れていた私は、抱き上げたときのあまりの軽さに失望していた。毛糸玉一個くらいの重さしかない。だがラーが離さない。

 こうして、弱虫の子犬は我が家にやってきた。生後3ヶ月。1994年12月14日のことだった。その後私は、このコがチャッピイにうりふたつになっていく過程に、神の意志を見る思いがしたのだった。
  あれから早くも16年。人間の子供なら青春真っ盛りの高校生だが、哀しいかな犬のりきゅうはすでに後期高齢犬になった。

  このコと出会ったのもちゃっぴいのご縁と思っているので最期まで悔いのないつきあいをしようと思っている。以後、第二回目からは老犬りきゅうの日々の暮らしです。