24日が復活祭にあたるため、街ははなやいでおり、春の到来を告げる紫の忘れな草、ネコヤナギ、チューリップ、フリージア、常緑樹の若芽、復活祭の卵を売る露店があちこちに。人々のうきうきした気分があふれていました。
「リトアニアは敬虔なカトリック信者が多いため、復活祭1週間前の日曜日はどの教 会もミサに集まった人であふれかえり、復活祭の準備のために飾りものを買い込む市 民が朝早くからくりだし、ヴィリニュスの旧市街、夜明けの門の広場では市がたって いました(写真参照)」 リトアニアの方々からも日本の大震災へのお見舞いの言葉をたくさんいただきました。 彼らは1986年にチェルノブイリ原発事故の記憶がぬぐえぬせいか、特にフクシマに関心が強く、一日も早い復旧とこれ以上の犠牲者がでないことを祈っていると、口々に言っていました。チェルノブイリのときは、何も知らされず、事情のわからぬまま作業にかり出された兵士たちがたくさんいたそうです。 現在、リトアニアはソ連型の古い原発の運転を停止しましたが、ベラルーシとカリーニングラードとまさに東西の国境に原発計画が持ち上がっているので、心配の種は尽きません。 さて、4月18日は、カウナスにあるヴィータウタス・マグヌス大学図書館大講堂でカイリースの研究家が集まり、高名な政治家および技術者のもうひとつの側面、つまり「日本研究家」という点に焦点を当ててセミナーが行われました。